えだ(京大教育) さんの投稿記事

ひとみに映るもの

担当している生徒さん、さいきんは「眼」がとても気になるようで、時々わたしの眼をぐいっとゆびで広げては、じぃーっと覗き込んだり、鼻先を引っ付けてまん丸な眼でにらめっこしたり・・・まばたきもしないひとみは、訴えかけるというよりも、何かを必死で見ようとしているようで、何の曇りもなくとても純粋です。

ちいさな子どもがお母さんの眼を見て、「ママのなかに○○ちゃんがいる!」と、母親の眼に映る自分の姿を発見する瞬間があるそうです。

生徒さんは何と見つけ、何と出会うのか・・・もうしばらく、わたしも同じように、生徒さんとにらめっこをしながら生徒さんのひとみに映るものを一緒に見つめたいと思います。

ありのまま、すべてを受けとめて

金曜ロードショーで、久しぶりに「耳をすませば」を見ました。テレビをつけたらたまたまかかっていて、なので途中からだったのですが。雫が物語を書く決心をしたあたり。

雫がはじめて自分自身と向き合ったとき、そして、自分自身の中にある「何か」にはじめて触れたとき、「わたし」があまりにも小さいことに気づいて、小さな自分をどうしてよいかわからなくなったとき。

「あなたは、すてきです」 まっすぐに雫を受けとめるせいじ君のおじいさんの言葉に、雫と一緒になっていた、私まで包まれたようでした。

ありのまますべてを肯定するような言葉を、私たちは身近な人に伝えているでしょうか?そんな言葉を伝えられる人になりたいと、心からそう思いました。

夢に教えられたこと

生徒さんとの学習の前日、その生徒さんが出てくる夢で目覚めました。

いつも一緒に学習する内容を事前に準備するのですが、その日はたまたま準備を怠り、生徒さんがいる場でおいてあった問題集をコピーし、それをするものだから、指導はあやふや・・・すると、その生徒さんが突然猛獣になり、私は必死で逃げるけれども追いつかれ噛み潰される・・・ところで、目が覚めました。

夢って不思議です。意識はしていませんでしたが、もしかしたら、私の心のどこかで、生徒さんの姿を見失っていたところがあるのかもしれない・・・と、夢で自覚させられました。今までの指導の仕方を振り返り、これからの見通しをもう一度考え直す、とても良い機会になりました。

「甘え」を受けとめること

誰かに甘えたいときって、誰にでもありますよね。不安なとき、寂しいとき、落ち着かないとき・・・内にあるものをひとりでは抑えきれない、どうしようもなくなったとき、誰かに自分の存在まるごとすっぽり、抱えてほしいと求めること、そのなかで感じる「大丈夫」だという実感。「甘えん坊」「甘ったれ」なんていう言葉もありますが、「甘え」って、その後ろには抱えきれないおおきな不安がある事だと思うと、ちゃんと受けとめたいって気持ちになります。

「甘え」とは、子どもの気持ちを受け止め、ともに体験し、ともに成長してゆくこと。けっして「しょうがない」ものでも「弱さ」だけでもないと思うのです。

では、「甘やかし」とは何でしょうか?「甘え」が子どもの発達を妨げるとしたら、その原因はどこにあるのでしょうか・・・?

それは、子どもではなく、かかわる私たちにあるのです。たとえば子どもが何でもかんでも買ってほしいというとき、それをすべてかなえるとしたら、これは甘やかしでしょうか?買う・買わないが問題となるのではありません。考えなければならないことは、「なぜ買ってあげようと思うのか」と、私たち自身の気持ちと向き合うことです。それが、子どもにとって本当に必要なことなら、これは甘やかしではないでしょう。しかし「買ってあげないと、この子があばれちゃうしな」という気持ちからだとすれば、これは甘やかしになると思います。知らず知らずのうちに、その子の抱えている問題から目を背け、自分たちの扱いやすさを基準にして考えること、「甘えん坊」と子どもの原因にしてしまうこと・・・日々の子どもたちとのかかわりを思うと、はっとさせられるものがあります。

「甘え」とは「与えるもの」ではなく、「受けとめるもの」。どのような気持ちで目の前の子どもが私にかかわってきているのか、それに対してどう向き合っていくのか、日々格闘中です。

松尾恒子(1996):母子関係の臨床心理ー甘えの中の子育て考ー 日本評論社

視線を支えるもの

この間、視覚トレーナーをされている方のお話を聞く機会がありました。

“良い眼”っていったいなんでしょう?その先生は、「良い眼とは、2つの眼が協調すること」とおっしゃっていました。人間の眼は、左と右、2つあります。2つあるのに像がバラバラに見えないのは、2つの眼が筋肉でつながっていて、その筋肉が2つの眼を協調させているからなのです。これはつまり、本来なら左と右それぞれの眼による見えがあるわけですが、それをひとつにしているので、実はすごーく“不自然”なことなのです。不自然だから、眼の中は圧力が高くて緊張状態。でも、脳は視覚のブレがないからよく働く。私たちが“自然”と感じているのは、脳の錯覚なのです。

当たり前のような話ですが、実はこの2つの眼をつなぎあわせるということに、「こころ」が大きくかかわっているのです。気持ちがゆったりしているときは、筋肉がほぐれてからだの緊張が緩みます。焦っているときは筋肉が緊張して、何をやってもからだがぎこちない、ってこと、よくありますよね。左右の眼をつなぐ筋肉も同じです。「見たくない」と思うとき、からだは縮こまり、筋肉は萎縮し、視線は落ち込みがちです。「見たい」と思うとき、体は伸びやかになり、筋肉は緩み、視線は遠くへ飛んでいきます。私たちの「見え」や視線を支えているものは、からだの自然なメカニズムだけではなくて、「こころ」も深くかかわっているのです。

自閉症の子とかかわっているとき、視線は合うのに「届いてこない」ということ、ありませんか?そこには、その子の「不安な気持ち」が潜んでいるのかもしれません。眼の中は高い圧力、筋肉は緊張してからだはこわばっている・・・大変な状態です。「ぼぉーっ」としているのではないのです。ともすれば見過ごされがちな視線のなかに、その子が今どんな状態なのか、多くのメッセージが詰まっているのかもしれません。視線を支えるもの、どんな「気持ち」なのか、しっかりと感じ取っていきたいものです。

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えだ(京大教育)
出身校は高松高校です。 学部は教育で、教育心理学系に所属しています。

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