えだ(京大教育) さんの投稿記事
不登校の子どもさんとかかわる機会を持ちました。自分のかかわりを振り返るため、「記録」を毎回書くようになりました。ところが・・・!
こんなことをした、こんなことを話した、こんなそぶりだった、というイメージの残り香みたいなものはあるのですが、実際にどんな言葉を話し、どんな表情をしていて、そのとき目は合ったのか、どんな位置関係だったのか、どんな声のトーンだったのか、・・・ぜんぜん「なまの体験」が思い出せない、ということにとても驚きました。
私はどれだけかかわっている子どもたちの姿を捉えられているのだろう?ひょっとして、記憶のなかで違ったイメージを作り上げていないか?
・・・記録を書くということ、自分自身のイメージではなく「体験」に向き合う大切さをひしひしと感じました。
2010年10月29日 |
キャンパス日記・雑記 |
えだ(京大教育)
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研究会での先生の一言。
発達の道すじには、その子が自分の力で切り開いて行く本筋と、適応のために身につけた傍筋があるということ。たとえば、算数の文章題なら、その問題がどのようなものを表していているのかをイメージしながらとくこと。漢字なら、その漢字の表す意味が豊かに広がること。それが本筋なら、傍筋は操作だけで終わってしまうこと。たとえば、たし算の操作はできても文章題が解けない子、文章題の数だけに着目して解いている子・・・
きっと、ふだんの授業スピードには追いつけないところもあるのでしょう。文章を読むのが苦手な子なら、読むのに精一杯で、その意味を理解するまでエネルギーが残っていない子もいるのでしょう。けれども、必死で授業についていこうと、式の扱い方を身につけて、覚えて、当てはめて。
「わかった!」「解けた!」という喜びが感じられるような、その子達自身の力を養うためにはどうしたらいいのか、はっとさせられました。
2010年9月30日 |
家庭教師レポート |
えだ(京大教育)
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担当している生徒さん、さいきんは「眼」がとても気になるようで、時々わたしの眼をぐいっとゆびで広げては、じぃーっと覗き込んだり、鼻先を引っ付けてまん丸な眼でにらめっこしたり・・・まばたきもしないひとみは、訴えかけるというよりも、何かを必死で見ようとしているようで、何の曇りもなくとても純粋です。
ちいさな子どもがお母さんの眼を見て、「ママのなかに○○ちゃんがいる!」と、母親の眼に映る自分の姿を発見する瞬間があるそうです。
生徒さんは何と見つけ、何と出会うのか・・・もうしばらく、わたしも同じように、生徒さんとにらめっこをしながら生徒さんのひとみに映るものを一緒に見つめたいと思います。
2010年9月1日 |
家庭教師レポート |
えだ(京大教育)
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金曜ロードショーで、久しぶりに「耳をすませば」を見ました。テレビをつけたらたまたまかかっていて、なので途中からだったのですが。雫が物語を書く決心をしたあたり。
雫がはじめて自分自身と向き合ったとき、そして、自分自身の中にある「何か」にはじめて触れたとき、「わたし」があまりにも小さいことに気づいて、小さな自分をどうしてよいかわからなくなったとき。
「あなたは、すてきです」 まっすぐに雫を受けとめるせいじ君のおじいさんの言葉に、雫と一緒になっていた、私まで包まれたようでした。
ありのまますべてを肯定するような言葉を、私たちは身近な人に伝えているでしょうか?そんな言葉を伝えられる人になりたいと、心からそう思いました。
2010年7月31日 |
キャンパス日記・雑記 |
えだ(京大教育)
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生徒さんとの学習の前日、その生徒さんが出てくる夢で目覚めました。
いつも一緒に学習する内容を事前に準備するのですが、その日はたまたま準備を怠り、生徒さんがいる場でおいてあった問題集をコピーし、それをするものだから、指導はあやふや・・・すると、その生徒さんが突然猛獣になり、私は必死で逃げるけれども追いつかれ噛み潰される・・・ところで、目が覚めました。
夢って不思議です。意識はしていませんでしたが、もしかしたら、私の心のどこかで、生徒さんの姿を見失っていたところがあるのかもしれない・・・と、夢で自覚させられました。今までの指導の仕方を振り返り、これからの見通しをもう一度考え直す、とても良い機会になりました。
2010年6月30日 |
家庭教師レポート |
えだ(京大教育)
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