kuriken(京大教育) さんの投稿記事
通勤路。
とはいっても、私が家庭教師として生徒の家にまで行く道のこと。
大学から西南方向へと対角線を伸ばした先に私の生徒の家がある。
私は、荒神橋を渡って、鴨川を越え、京都御苑の中を突っ切り、
蛤御門から烏丸に出て、京都府庁周辺を通って、二条城へ出る。
そこから自転車ですこし進めば、目的地に着く。
もう通いだしてから4ヶ月になるが、行きかたも色々と
変えることもできるし、少しも飽きることがない。
湯川秀樹の通学路の荒神橋。紫式部の邸宅の前を通って、京都御所を通過。
あの蛤御門をくぐって、たまには妖怪通りの一条通を走ってみたり、
急に福井藩邸が現れたり、などなど。
毎回毎回、発見がある。
私が通るこの道を、過去の歴史上の人物もきっと歩いていたに違いない。
そんなことを思ってみると、なんだかわくわくしてくる。
そんな歴史が何層にも折り重なった道を私は自転車で走りながら
家庭教師に行っているのである。
生徒の家までの時間は私にとって、ちょっとしたタイムスリップの冒険である。
2010年10月1日 |
キャンパス日記・雑記 |
kuriken(京大教育)
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子どもが、あまりにも勉強したくないんだろうな~と思わせる
そういった態度をとることがある。
そんなとき、気持ちも入らないから効率だって悪いはずだ。
だから、休憩を入れてみたり、別に休憩とは言わなくても、
他愛もない話をしてみたりする。
話をするうちに、また子どもはひとりでに勉強に戻っていく。
でも、そうならない日もある。だから、思い切って、
「もう勉強やめようか」とあっさり言ってみる。
すると、どこか気まずそうに「なんで~~」と言ってくる。
子どもは、正直言えば、勉強なんかしたくないと思ってることが多い。
私もそうだった。でも、親や兄弟の顔がちらちら浮かんでは、
やっぱりやらなければいけないんだと、自分に言い聞かせるようにして
また勉強に向かう。でも気持ちが入らない。
そんな感じで葛藤する子どもが世の中には結構いるのではないか。
そういう姿を見る度に、「勉強」という言葉がなにかとてつもなく
冷たい感じの、人間味のない言葉のように思えてくる。
よく言われることだが、「勉強」ではなくて、「学び」の境地にまでなんとか
子どもには到達してもらいたい。
他にも楽しいことはいっぱいあるけど、これもまあやったらやったで
楽しいところもあるやん!
そんな心持ちで、学習に取り組むことができれば、文句なしだ。
そこまでの道のりを共に歩んでいくのが、私の仕事なのかもしれない。
2010年8月27日 |
家庭教師レポート |
kuriken(京大教育)
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子どもの質問や疑問にときどき驚かされることがある。
というのも、その質問がすごく「ものの本質」をついているからだ。
思えば自分は、案外長いこと、「そういうものだから」ということで
深く問わないできたものだと思ってしまう。
だからこそ、子どもの質問を聴いていると、
「あ~確かに、なんでなんやろ?」という気にさせられる。
だからこそ、子どもの質問にはやはり真面目に向き合うだけの
価値があるのだ、とこれまでにも多くの人が言っているところである。
ただ問題なのは、このような疑問が子どもから出される、その状況だ。
子どもはまさに「思いついたまま」に質問を並べ立てる。
そういう意味では、問いを立てる能力や不思議に思う力は、
子どもに特有なのかもしれない。でも、それが「思いつき」なだけに
その問い自体が、子どもにとって忘れ去られていることもまた事実である。
あるいは、問いを立て続けることで、今やるべき勉強から話を逸らせて
いるのかもしれない、など色々な状況が考えられる。
こちらが質問の本質性を認識し、それに応えようと努力しても、
当の本人は忘れているのでは、どうしようもない。
あるいは、子どもの問いが、根本的な問いであるだけに、高度な思考力を
要することだってある。だからそれにひとつひとつ丁寧に答えて、あるいは
答えにたどり着かせようとしても、小学生にとっては、あまりに難しすぎる
ことだってある。
こう考えてくると、子どもの質問や疑問というのは、まことに扱いづらい
と言わざるを得なくなる。それでも何が重要なのか、
何が今この状況において必要なのかを、指導する側が臨機応変に
取捨選択していかなくてはいけないのだろう。
そんなことを指導しながらつくづく感じてしまった。
2010年7月25日 |
家庭教師レポート, 教育・受験関係の話題 |
kuriken(京大教育)
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今回、はじめて投稿します。
ちょうど6月から、この家庭教師をはじめ、今は小学校5年生の
男の子を担当しています。
久しぶりに、人に何かを教えることになったので、
最初の1ヶ月目ということもあって、かなり手探りな状態でした。
私の中で何が一番引っかかったのかというと、それは「やる気」
の問題でした。
生徒に「やる気」を出してもらう条件として、やっぱり生徒との相性は
必要条件だと思います。だがしかし、それだけでは十分ではないの
かもしれません。
ならば、すぐに「はよ、問題やりや!」とか「勉強し~や」などと
頭ごなしに言ってみても、それは芸のないことであるうえに、
子どもはこれまでに大人から何回も言われてきてるだけに、
「またか」という感じになるかもしれません。
こういう風に考えてみると、子どもの「やる気」を引き出す
とは、ものすごく難しいことだと改めて気付かされます。
そしてまた子どもが勉強に向き合える環境が整っているかどうか
ということもかなり重要なファクターになってきます。
ということで、これがこの1ヶ月の指導を通して「やる気」について
考えてみたことですが、結論としては、全体の方向性を示しながら
はじめのうちは、その方向性から外れない程度に、見守る。
話をたくさん聴いて、コミュニケーションを深め、信頼関係を構築する。
その徹底化の先に、おそらく、やっと子どもの「やる気」を引き出す
糸口が見えてくるのかもしれません。
指導とは、「待つ」ということかもしれませんね。
2010年6月28日 |
家庭教師レポート |
kuriken(京大教育)
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