Nature or nurture?
大学に入ると受験期よりも時間に余裕ができ、友達と何時間も議論を戦わせることがあります。
最近した議論が、Nature or nurture? 生まれか育ちか、というものでした。
この議論は20世紀初頭に幅を利かせた優生学にも直接つながる少々こわいテーマですが、もっと身近なところで考えてみましょう。
そもそも私たちが生まれ、つまり遺伝子について考えることがそんなに重要なのでしょうか?
例えば、勉強をする上で、いくら勉強してもあいつにはかなわないということがあります。しかし、これを生まれの差に帰することができるでしょうか?
確かに遺伝子にほとんど差がないというわけではありません。ヒトの遺伝子の個人差は0.1%と言います。ヒトとチンパンジーの遺伝子の差がわずか3.9%ほどですから、個人差も小さいとは言えません。
しかし、勉強をいくらやっても追いつけないとき、生まれのせいにするのではなく、その後の環境や自分の適応・努力に帰するのはどうでしょうか?私が今からいくら努力しても長友や錦織のようなプレーヤーにはなれないかもしれません。このことを、生まれつきだと考えずに、自分にそういった環境が整っておらず、サッカーやテニスに対して努力を払ってこなかったからだと考えるのはどうでしょうか?
うまくいかないことをいつも生まれのせいにしていたら、何だか仕方ないような気分になってそれ以上の努力をやめてしまうような気がします。「生まれ」はどうしたって変えられませんが、努力している、もしくは怠けている今現在が、次の瞬間には「育ち」の一部となっているのです。だったら、「生まれ」なんて考えはちょっと忘れて「育ち」をよりよいものとする努力をしようじゃありませんか!
なかなか考えがまとまらず、かなりごまかしたような結びとなってしまいましたが、要するに、各人が今この時を大切に生きることに意味があると思うのです。遺伝病を持って生まれた人だって、その時を大切に生きて思いっきり輝くことができるのです。
それでも、いくら努力してもどうしてもうまくいかなくて、やる瀬ないとき、そのときのために「生まれ」って考えはとっときましょう。ご先祖様が慰めてくれるでしょう。
2012年1月23日 | 教育・受験関係の話題 | tutor115(京大医) | コメント(1)
