「手書きの卒論」と「タイムマシン」

先日、指導教官の先生にサインをいただいて、図書館にて先生の学生時代の修士論文を見させていただいた。そして、原稿用紙に万年筆でびっしり書かれた100枚の論文(註を入れて150枚以上)に、私はたいへんな興奮を覚えた。手書きの論文は当時としてみれば当たり前だろうが、私たちはあまりにパソコンで書いた文章に慣れてしまっているため、あのような大量の手書き文章に出会うと不思議な感覚に襲われるのかもしれない。

私はその論文をよみながら、その万年筆の文体や筆圧や古い焼けた原稿用紙を通して、数十年前の先生に対面している感覚を強く覚えた。100枚の論文の中には、至極慎重に筆を進めている箇所から、ざっと流すように筆を進めている所まで、「字」を通して著者のリズムや感情の起伏が伝わってくる。したがって論文の内容の展開とそうした起伏をシンクロさせながら、著者の思考を読み解くことも可能かもしれない。それから、パソコンで書くのと違い、「書きなおしが許されない」という書くことへの緊張感をも感じられる気がした。それでも間違った文字には、丁寧に紙が貼られ、その上から書きなおされていた。論文の内容だけでなく、まさに「血と汗の結晶」の論文だといえる。

私はこれから論文執筆に取りかかろうしているが、原稿用紙に書かれた論文にこうして触れられたことは、とても幸いな機縁だったと思う。数十年前の先生との対話を通して、気持ちを引き締めて「書く」ことに取り組みたいと思う。

そして、「手書きっていいね」。それが今回の簡単な結論。しかもそれを残しておいてずっと後から見なおすこと。そこにはパソコン以上の複雑なメディア機能が示される気がする。面白い可能性を秘めている。アナログの可能性。いや、アナログ賛美が過ぎると年齢がばれてしまうので、この位にしておこう。では。

コメント

手書きの文書を見て圧倒される感覚、私にも分かります。
文字にはそれを書いた人の想念の世界に引き込む魔力のようなものがあると思います。
筆やペンをもたなくなった私たちは、便利さと引き換えに大事なものを手放し続けているのかもしれません。

貴重な経験を記事にしてくださいましてありがとうございます。
きっとすっしり重みのある卒論になると思います。
今後ともよろしくお願いします。

2010年5月4日 | シリウススタッフ

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