学びについて

先日、あるレストランで食事をしていたところ、三人家族が隣のテーブルに座った。そのうち、父は医師で娘も医大に在学中のようだった。なぜ、私がそれを分かったかといえば、三人とも大きな声で、自分たちが医師一家であることに纏わる名声やお金の話をずっとしていたからだ。しかも、わざわざ周りにこれ見よがしに聞かせているかのように、私には感じられた。品がないというか、何かとても切なく感じた。

私はここで、その嫌な時間を思い起こして、愚痴をこぼしたいのではない。教育に関わる出来事だと思ったので取り上げてみた。私が思うに、例えば医師になること、医師であること、そして医師になるために勉強することはそれ自体「偉い」ことでも何でもない。私は教育に携わっている以上、「人間は何のために勉強する必要があるのか」を自らに問いつつも、その問いを生徒達にも投げかけていきたい。古めかしい考え方かもしれないが、私は勉強の必要は「偉くなるため」でも、「大金持ちになるため」でもあってはならないと思っている。その前に「偉い」とはどういうことか、「何のために金持ちになりたいのか」を自らに問い続けねばならない。そうした終わらぬ問いを続ける学びが大切なのだと思う。

私たちはたまたま、この世界にこうして生を受けて、ほんの短いが、しかしかけがえのない一度きりの人生を生きている。若い子供たちには、そうした人生というものの不可解さ、不思議さを引き受け、多様な可能性に自分を開いて考え、悩み、学んで欲しい。無数にある仕事、生き方の可能性にまず目を開いて欲しい。様々な立場、職種に生きる人の中に、人間としての「偉さ」「輝き」を見出せるために、、若いときはさまざまな経験をして欲しい。さまざまな人と触れ合って欲しい。

 以上、至って当たり前のことを書いてしまったかもしれないが、当たり前でないかもとも思ったので、書いてみた。「学ぶとは自分を鏡に映してみる」ことでもあろう。「自分を鏡に映す」学びは「自分の偉くなさ」の自覚を必ず導く(と思う)。では「自信の欠如」をもたらすのか。そうではない。「自分の偉く無さ」に自覚的な人は、静かな自信を手に入れるのではないか。饒舌でない、とてもとても寡黙な自信を。「自分の偉くなさ」「情けなさ」に立脚した「自信」というものがあるのだと思っている。

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