「甘え」を受けとめること
誰かに甘えたいときって、誰にでもありますよね。不安なとき、寂しいとき、落ち着かないとき・・・内にあるものをひとりでは抑えきれない、どうしようもなくなったとき、誰かに自分の存在まるごとすっぽり、抱えてほしいと求めること、そのなかで感じる「大丈夫」だという実感。「甘えん坊」「甘ったれ」なんていう言葉もありますが、「甘え」って、その後ろには抱えきれないおおきな不安がある事だと思うと、ちゃんと受けとめたいって気持ちになります。
「甘え」とは、子どもの気持ちを受け止め、ともに体験し、ともに成長してゆくこと。けっして「しょうがない」ものでも「弱さ」だけでもないと思うのです。
では、「甘やかし」とは何でしょうか?「甘え」が子どもの発達を妨げるとしたら、その原因はどこにあるのでしょうか・・・?
それは、子どもではなく、かかわる私たちにあるのです。たとえば子どもが何でもかんでも買ってほしいというとき、それをすべてかなえるとしたら、これは甘やかしでしょうか?買う・買わないが問題となるのではありません。考えなければならないことは、「なぜ買ってあげようと思うのか」と、私たち自身の気持ちと向き合うことです。それが、子どもにとって本当に必要なことなら、これは甘やかしではないでしょう。しかし「買ってあげないと、この子があばれちゃうしな」という気持ちからだとすれば、これは甘やかしになると思います。知らず知らずのうちに、その子の抱えている問題から目を背け、自分たちの扱いやすさを基準にして考えること、「甘えん坊」と子どもの原因にしてしまうこと・・・日々の子どもたちとのかかわりを思うと、はっとさせられるものがあります。
「甘え」とは「与えるもの」ではなく、「受けとめるもの」。どのような気持ちで目の前の子どもが私にかかわってきているのか、それに対してどう向き合っていくのか、日々格闘中です。
松尾恒子(1996):母子関係の臨床心理ー甘えの中の子育て考ー 日本評論社
2010年5月29日 | 教育・受験関係の話題 | えだ(京大教育) | コメント(1)
