chappy(京大教育) さんの投稿記事

卒論作成を振り返る

 

 締切間際に、エンジンが全開になる。昔からのぼくの癖です。1月6日に卒論を提出しましたが、今回もまた然りです。締切9日前に、全面的に書き換えたいという新しい方向性が見えてきて、その9日間で、ほとんど書き換えて(組み替えて)作成しました。

 果たしていいものができたのか、今はわかりませんが、書き直して良かったという満足感に今のところ満たされています。なぜなら、京都にきて最も濃密な時間を過ごせたと思えたからです。また、最もシビアに自分と向き合えた時間だったと思います。書きながら、この9日間のためだけでも、ここに来た価値があったなと思いました。締切という絶体絶命の時が刻一刻とちかづいて来る中で、生き生きしてくる自分を感じました。切羽詰まりながらも、喜んでいる自分。不思議でした。

 さきに、9日間でほとんど書き換えたといいました。正確には、ほとんどを組み替えたのです。書くのに使用できる部品はたくさん用意されていたのですが、その組立がどのように配列しても、常に何か違和感が残っていたのです。それはもう「感覚的な問題」なのです。論文自体はもちろん論理的な構成を突き詰めていくわけですが、最後に「良し」と判断するのは、その文章を前に私という生身の肉体が向き合ったときの「感覚的な判断」なのです。私の場合はそうなのです。

 そして、卒論締切の9日間前に担当の先生と面会したのがきっかけで、何かが目まぐるしく動き始めました。それまで作成していた論文に換えて、最善の構成の仕方が新たに見つかるという激しい予感に襲われました。根拠はないのですが、「よし、賭けてみよう」と思ったのです。その夜、ほとんど不眠で、眼前の文献とにらめっこした末に、「この配列でこうやって書こう」という構成が見つかりました。その時、「かちっ」と何かがぴったりと合わさる音が聞こえた気がします。のど元の閊えが取れて、「スッ」とするような快感の感覚。わかりますよね。

 このような「かちっ」という音が聞こえるという感覚や、私の生身の肉体が「良し」というか否かという問題は、非常に重要なことだと思います。卒論を提出して2か月が経過していますが、今でも論文の配列はあれで良かったという思いは変わることがありません。こういう経験が重なることで、私という人間はますます「感覚的な判断」を信頼するようになるのかもしれません。

規則正しい寮生活

現在、私はある全寮制の学校に勤めています。この学校の寮で、毎日学生と寝起きを繰り返しています。ここでは、朝6:50に起床し、寮の掃除から一日が始まります。そして、お経を唱えて沈黙の食事をとり・・・という朝が繰り返されます。

 私はこの寮に入るまで、朝起きて掃除から始まる一日を迎えたことは記憶にありません。しかも、朝起きる時間もまちまちでしたし、食事も食べる日もあれば食べない日もありました。

 実は朝に限らず、厳密なスケジュールと作法に従って、様々な出来事が毎日繰り返し繰り返し淡々と、この学校と寮では行われています。

 私は最初ここに来るとき、「苦行」をイメージしていましたが、実際にそのような生活を「集団でおくる」ことは苦しいものではありません。「当たり前」「普通」になっていくのです。不思議ですね。集団だからこそ経験できること。苦にならずに遂行できること。そういうことがあります。

 「だらだらとした生活」と「規則正しい生活」。例えば、わかりやすくこのように分けてみた場合、どちらが「あるべき生活の姿」なのかはわかりません。でも、どちらを採用するかを考える際に、両方を経験しておいた方がいいのではないでしょうか。「だらだらとした生活」のほうは、一人でも経験できるけど、「規則正しい生活」のほうは、一人ではなかなか経験が困難なので、若いうちに集団で経験しておくのも悪くはないのではと思ったりしているのですが、いかがでしょうか。

学びについて

先日、あるレストランで食事をしていたところ、三人家族が隣のテーブルに座った。そのうち、父は医師で娘も医大に在学中のようだった。なぜ、私がそれを分かったかといえば、三人とも大きな声で、自分たちが医師一家であることに纏わる名声やお金の話をずっとしていたからだ。しかも、わざわざ周りにこれ見よがしに聞かせているかのように、私には感じられた。品がないというか、何かとても切なく感じた。

私はここで、その嫌な時間を思い起こして、愚痴をこぼしたいのではない。教育に関わる出来事だと思ったので取り上げてみた。私が思うに、例えば医師になること、医師であること、そして医師になるために勉強することはそれ自体「偉い」ことでも何でもない。私は教育に携わっている以上、「人間は何のために勉強する必要があるのか」を自らに問いつつも、その問いを生徒達にも投げかけていきたい。古めかしい考え方かもしれないが、私は勉強の必要は「偉くなるため」でも、「大金持ちになるため」でもあってはならないと思っている。その前に「偉い」とはどういうことか、「何のために金持ちになりたいのか」を自らに問い続けねばならない。そうした終わらぬ問いを続ける学びが大切なのだと思う。

私たちはたまたま、この世界にこうして生を受けて、ほんの短いが、しかしかけがえのない一度きりの人生を生きている。若い子供たちには、そうした人生というものの不可解さ、不思議さを引き受け、多様な可能性に自分を開いて考え、悩み、学んで欲しい。無数にある仕事、生き方の可能性にまず目を開いて欲しい。様々な立場、職種に生きる人の中に、人間としての「偉さ」「輝き」を見出せるために、、若いときはさまざまな経験をして欲しい。さまざまな人と触れ合って欲しい。

 以上、至って当たり前のことを書いてしまったかもしれないが、当たり前でないかもとも思ったので、書いてみた。「学ぶとは自分を鏡に映してみる」ことでもあろう。「自分を鏡に映す」学びは「自分の偉くなさ」の自覚を必ず導く(と思う)。では「自信の欠如」をもたらすのか。そうではない。「自分の偉く無さ」に自覚的な人は、静かな自信を手に入れるのではないか。饒舌でない、とてもとても寡黙な自信を。「自分の偉くなさ」「情けなさ」に立脚した「自信」というものがあるのだと思っている。

教育実習 ①

教育実習に行ってきました。京都山科にある一燈園中学校という学校です。この学園はもともと一燈園という生活共同体が母体となっています。したがって一燈園の創始者西田天香の生活実践としての思想に基軸をおいた教育が試みられています。そのために、他校の教育実習とは違い、授業に先立って一燈園とは何かについて知的・実践的な理解を研修会で得ることが必要とされました。今回はその研修会について少し紹介します。

 

智徳研修会と呼ばれる三日間の研修会。参加者の多くは企業関係者でした。ここ一燈園は現在多くの企業関係者の方々の心身修養の場として活用されているようである。3日間の研修の二日目・三日目に「行願」「路頭」という実践的修行があり、ここ一燈園を特徴付けている。「行願」「路頭」は市街の家々を廻り、必要とされる仕事を請い、こちらからは一切報酬を求めず、相手様の気持ちから与えられたものがあれば、それを頂き、それのみを頼りに生活を営むという修行である。西田天香の生活実践のプチ体験という具合だが、貴重な体験をさせていただいた。私たちの体験はせいぜい数時間ですが、天香さんはそのスタイルで日々の生活を送っていたと考えると想像しがたい思いだった。

 天香さんは著書で、「自分がなくなった時、全体が自分になる」と言っていて、一見容易に理解したような気になれる言葉だが、私はこの言葉の重みについて考えさせられた。

 しかし、そんな生活実践の意義はどこにあるのか。しかもこの現代社会において。そう多くの方は思われるかもしれない。天香さんは商売や事業の展開をした末に「人と争わない生活は如何に可能か」をとことん追求しようとして、そこにたどりついたようである。

 つい数日前、西田幾多郎がこの「一燈園」生活について言及した講演録を発見した。次回のブログではそれも読んだ上で、改めて一燈園について紹介できればと思う。

明日から教育実習、自慢の教具紹介

 明日から教育実習に行って参ります。教科は英語です。

今日は授業で使用する教具を買いに、三条のロフトに行きました。

 自慢の教具の一つ目は「卓上ベル」です。ファミレスのレジなどに置いてあって、

上から叩くと「チーン」て鳴る、あれです。英語科教育法の先生に薦められて買いました。

ウォームアップのクイズやグループワークで、答えのわかった人に先生の所まで来て、

わざわざ「チーン」と鳴らしてもらうというわけです。生徒にも動きが生まれていいのでは

と思うので、試してみます。

 二つ目は超強力磁石です。小さいのにめちゃめちゃ強力な磁石(通常の3倍と書いてある)

を見つけてうれしくなりました。とにかくこの強力磁石を使用するために、「ピクチャーカード」

など黒板に貼り付けるものをこれから制作するつもりです。早く黒板に貼ってみたいです。

 三つ目はホワイトボードのように使える紙状シート。100円ショップにありました。裏に厚紙を張って、

マグネットシートを貼りました。ここに毎授業のキーセンテンスなどをきれいに書いて黒板に貼って

みようかなと考えています。

では二週間、教育実習を頑張ってきます。次回のブログはその報告になろうかと思います。

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chappy(京大教育)
京都大学教育学部3回 私立開成高校出身です。教育哲学を専攻しています。走ること、歌うことが趣味です。よろしくお願いします。

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